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巨大で美しい多重環濠集落 下之郷遺跡(2)
  〜環濠・井戸は弥生のタイムカプセル〜
環濠は本来防御のために造られた、と言われていますが、ゴミ捨て場であったり木材・木器の保管場所でもあり、養魚場でもあったようです。環濠や井戸からは、人々の生活のなまなましい痕跡が見つかります。
泥水に護られた天然の冷蔵庫
日本各地の弥生遺跡から土器や石器が出土しますし、弥生時代の特徴である青銅器が出る遺跡もあります。しかし、木製品が見つかる遺跡はそれほど多くはありません。木質は空気中や土の中では風化したり微生物による腐敗などで消えて行きます。動植物遺体も同じで実物がそのまま出てくることはほとんどありません。
野洲川下流域の三角州にあった遺跡では、土と水に護られて木製品や動植物遺体が腐らずに残されていて、当時の道具や生活雑貨などが見つかります。
下之郷遺跡一帯は、野洲川の伏流水の恩恵を受け、豊富な地下水に恵まれています。環濠の底や井戸の中は泥水によって空気が遮断されたため、多様な動植物遺体があまり腐食することなく、非常に良好な状態で地下に保存されています。

  環濠内の遺物 【守山市教委】
例えば、井戸跡や環濠から発見された稲籾や樹木の葉が黄色や緑色の色のままで残っています。とくに第一環濠(最内周)はゴミ捨て場としても使われたために、多様な物が見つかり、下之郷遺跡はまさに「2200年前のタイムカプセル」ともいうべき遺跡です。
ここでは、土器・石器以外の、他の遺跡ではあまりお目にかからない遺物を紹介します。
 ・炭化していない籾が出土し、DNA分析が可能で、稲作の伝搬ルートについて新たな知見が得られた 
 ・雑穀、ウリ、魚、動物の遺体がたくさん出土しており、当時の食生活を知ることができる
 ・木製品、籠類、農具が多数出ており、当時の生活様式が見て取れる
 ・樹木や葉の遺物がしっかりとした状態で出土しており、集落周辺の植生群が想定できる
 ・集落の出入口は防御され、環濠からは武器類が多数出土しており、"戦い"の様子が見てとれる
遺跡の保存と活用を図るために、平成22年には環濠が巡らされている場所に下之郷史跡公園が開設されました。
他所では見られぬ貴重な遺物
【まだ黄色い籾】
環濠や井戸跡の発掘調査で大量の稲籾や籾殻がみつかりました。通常、遺跡から出土するお米は黒くなった「炭化米」なのですが、井戸の中に堆積した土を水洗いしたところ、黒や褐色の籾に交じって、今、穫れたばかりのような黄色いままの籾殻が含まれていました。
炭化していない米粒のDNA鑑定行ったところ、熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカが混じっており、しかも複数の品種があったことが判りました。
これまで稲作は、温帯ジャポニカが中国〜朝鮮経由で伝わったと考えられており、下之郷遺跡で発掘された稲籾の中に「熱帯ジャポニカ」があったことは思いもよらぬ発見でした。これは、炭化していない籾が見付かったことにより、DNA鑑定が可能となったことによる成果です。 東南アジアから海を渡って熱帯ジャポニカが伝わってくるルートがあったと考えられます。
また、複数の種類のお米が同じ場所から見つかったということからは、当時の稲作のやり方を推測できます。稲作技術が未熟だった当時、稲が一斉に気候や害虫などの被害を受けるリスクを避けるため、異なる種類の稲を同時に植えていたのでしょう。
黄色い籾
出土したまだ黄色い籾 【守山市教委】
熱帯ジャポニカ
熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカ
出典:守山市誌(考古編)
【ウリの果実】
最も内側の環濠から弥生時代中期後葉の土器などと共にウリ科作物の果実が出土しました。C14年代測定の結果、紀元前200年頃に廃棄されたものと判明しました。
また、果肉部分からDNAが採取され、メロン(栽培化されたもの)仲間の果実と同定されました。
下之郷遺跡からは、マクワ、シロウリの類の種子もたくさん出土しており、弥生人たちは稲や雑穀以外にメロンの仲間を栽培し、食していたと考えられます。ウリの種は世界各地の遺跡で出土していますが、果肉の出土は、おそらく世界で初めてのことでしょう。

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果肉が残されたウリ 【守山市教委】
【フナの鰓(えら)の塊】
環濠の中からこげ茶色の土の塊が出てきました。層状になっており、見る角度によっては青く見えます。琵琶湖博物館で調べてもらったところ、フナの鰓蓋(えらぶた)と判りました。 フナは、喉の部分に咽頭歯と呼ばれる歯が発達しており、この歯から魚の種類が判別できます。見付かった咽頭歯から、大きさ30cm前後のゲンゴロウブナであることが判りました。
すなわち、環濠の中にゲンゴロウブナのエラがまとめて棄てられたのです。 体は食用にされたためでしょうか、残っていませんでしたが、腐りやすいエラ部分や内臓を取り出した後、干物などの保存食にした可能性もあると推定されています。このようにしてまとめて捨てた鰓が重なって層状の塊となったようです
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出土した鰓の塊  【守山市教委】
【人面に見立てたココヤシ容器
不思議な遺物の一つは、ココヤシ容器です。なぜか、南方のココヤシが下之郷から見つかっています。
容器は長さ10.3cm、高さ10cmの楕円形で、直径約4cmの穴を開けて口にし、雌しべの跡(子房痕)を目に見立て、小さな穴で鼻の形を作り、大きく口を開けた顔を表現しています。口の両脇には「ひげ」となる線が彫られ、鼻とひげは水銀朱で赤く着色されていました。
ココヤシの実の殻を加工して人の顔に見立てた容器は、奈良正倉院の宝物「椰子実」と似た造形物ですが、下之郷のものは、それより1000年さかのぼっています。
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人面に見立てたココヤシ 【守山市教委】
日常生活の道具
環濠からは、日常生活で使われた木製品、編み物、原始おり機の部品などいろいろ出土します。
【木器、木製品】
通常、木製品は酸化して朽ち果てたり、微生物や虫に食べられたりして形が無くなることが多いのですが、下之郷遺跡では、泥水の中で酸素が遮断されたため木製品がそのまま形を残してでてきます
木製品
いろいろな木器、木製品 【守山市教委】
木製の容器(槽:そう)も出土しています。外形はきれいな円形で、底面は滑らかな球面に加工されており、この時代に優れた木工技術があったことが判ります。
【籠(かご)、編み物】
遺跡からは、植物で編まれた籠やザルが出ています。
これらを観察すると、当時の"編み方"をみることができます。出土したものからは、網代(あじろ)編み、ザル編み、六つ目編み、木目編みの4種類が確認できます。すでに高度な編み組みの技術があったようです。
壷が倒れないように底に敷いたのでしょうか、輪状に編まれた植物繊維もいくつか出土しています。
木製品
出土した籠、編み物 【守山市教委】
【織り機の部品】
また、弥生の人が布を織るのに使った部品が出てきました。これも非常に珍しい物です。
弥生時代には、麻やカラムシから繊維を取り出し、布を織っていました。その織り機の部品が出てきました。部品をよく観察すると、糸と擦れてできた筋が確認でき、経糸を押さえるための部品と考えられます。
中国の古い青銅器に原始機の模型があり、弥生人は輪状式の機織りをしていたことが判りました。

原始機の部品 【守山市教委】
【土器、石器】
このホームページでは、土器・石器の紹介は省略しています。
戦の痕跡
【防御態勢】
これまでの発掘で、集落の東側と西側に出入り口が見つかっています。
どちらの出入り口にも入った直ぐの所に番小屋と推測できる建物があり、周辺には柵が設けてありました。また、武器の多くもこの周辺から見つかっています。
集落の西側で発見された3重の環濠は、いずれも幅5m、深さ1.5mほどで、当時は水をたたえていたと思われます。
環濠のふちには柱穴が並んでいる場所があり、これらは、集落内に外敵が容易に侵入できないように設けられた 柵の痕跡と考えられます。
第1環濠では、一度掘った環濠に、幅3mほどの土を埋めて出入口(陸橋)が見つかりました。
その両側には柵があり、環濠の内側には門柱を立てて、そのそばには高床式の建物が建てられていました。
これは、集落を守るための施設で、番兵が常駐し、監視をしていたのでしょうか。
木製品
環濠と戦いの痕跡 出典:守山市誌(考古編)
【戦いの道具】
下之郷遺跡では、環濠や出入り口周辺からは、打製や磨製の石鏃(せきぞく)、焼け焦げた弓、石剣、折れた銅剣など、戦いに使われたと思われる武器がたくさん見つかっており、激しい戦いが連想されます。
珍しい武器としては、石をドーナツ状やそろばんの玉状に磨き上げた環石や環状石斧が見つかっており、中央の穴に棒を通して使ったようです。戦闘用の棍棒や指揮棒として使ったのでしょう。これらの武器は東アジアの石器時代の遺跡から多く見つかっており、これらの地とのつながりが感じられます。
また10本以上の弓が環濠から出ています。イヌガヤなど弾力のある樹木が使われています。
矢や投石を防ぐための盾(たて)も守山市内から多く出ていますが、下之郷遺跡の環濠からほぼ完全な形を残している盾が見つかりました。盾の板に渡した2本の補強材の中央には把手が付けられており、植物繊維が巻きつけてあります。
戦いの道
戦いの道具 【守山市教委】


盾と武器
盾と武器 【守山市教委】

盾の中央部に脚棒用の差込孔が設けられており、置き盾としても使われたようです。
スギ板4枚とサカキの補強材2本とを組み合わせて作られた盾です。このように盾の構造がしっかりと判るのは非常に珍しいことです。弥生時代の一般的な盾は、板材にモミを使っているが、下之郷遺跡の盾は、材質が異なっていて珍しいことです。
その他の珍しい武器としては、中国の戦国時代に使われた戈(か)という武器の柄が出ています。戈は、戦車の上から敵の首を狙うもので、長い竿の先に青銅の戈が付けられていたものです。
生物遺体からわかる古環境
これまでの発掘調査では、主に土器などの遺物から年代の判定や暮らしの推定を行ってきました。
当時、遺跡がどのような自然環境にあったのかを知るためには、動物、植物、昆虫などの生物遺体を調べればいいのですが、このような生物遺体は腐食して残ることは少ないのです。
ところが、下之郷遺跡ではこれまでにも述べてきたように、樹木や葉の遺物がしっかりとした状態で出土しており、これらの調査をすることにより、古い時代の環境の推定をすることができます。
下之郷遺跡では、保存状態のよい豊かな遺物が見つかることから、生物遺体にも注目して発掘調査と調査研究が行われました。
このようにして、どの環濠のどの土層(年代に換算できる)からどんな植物遺体が出土したかが判りました。
樹木には生育に適した場所があり、また人との関わりで育つものもあります。遺跡周辺の土地の高低や傾斜、川筋の存在、藻類の生育から判る湿地などの要素を加えて考察していくと、下之郷周辺の林の配置が想定出来ます。
植生環境
出土した植物の痕跡より復元した植生環境 出典:守山市誌(考古編)


下之郷遺跡の詳細はこちらをクリックして下さい ⇒ 下之郷遺跡ホームページ
まとめ
下之郷遺跡の環濠や井戸からは、普通なら腐食して残り難い木器や有機物など多種多様なものが出土しており、当時の人々の生活や自然環境などが判る貴重な遺跡で、「弥生のタイムカプセル」と称されるところです。

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