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[12] 禁止ワードについて 投稿者:相模狸 投稿日:2019/12/06(Fri) 23:05  

「禁止ワードが含まれています」との警告がたびたびでて、お礼を送ることができていません。
「禁止ワード」の定義を教えてください。


[11] Re:[10] 高地性集落と津波の関係性について、特に吉備地方 投稿者:ヒロ 投稿日:2019/11/28(Thu) 22:05  

ご意見ありがとうございます。
2000年前の南海地震がもたらした影響は、考古学的証拠と状況証拠から推定しています。
ホームページにも書きましたが、2000年前の地震は東日本大震災より大きい地震で、津波も30mクラスと推定されています。
ホームページに各所にもたらした影響を書いていますが、これ以外にも淀川中流の安満遺跡で弥生中期の環濠集落の上に、淀川の砂礫が50cm〜2mも積みあがっており、大津波が淀川を遡上して運んだものと考えています。
神戸の桜ヶ丘銅鐸も高所に埋められています。地震と大津波から避難したのではないでしょうか。紀州の銅鐸も同様に高地に埋められています。
この津波が、紀伊水道から大阪湾岸へ、豊後水道から四国北部へ流れ込んだと思います。四国・瀬戸内には東西から海水が流れ込んだことでしょう。津波というよりは超高潮だったかもしれません。
この結果、四国、吉備地方は程度は分からないものの津波の影響を大きく受けたでしょう。
この時期に瀬戸内海運ルートが日本海ルートへ変わります。この理由も諸説がありますが、瀬戸内の港湾施設が大きな被害を受けたからでしょう。
吉備地方で長らく続いていた祭祀が、ごろっと変わるのも大きな社会変動を受けたからで、それは地震と津波と推定しています。
状況証拠の組み合わせなので「確かな証拠」と言われると困りますが帰納的に推論しています。


[10] 高地性集落と津波の関係性について、特に吉備地方 投稿者:相模狸 投稿日:2019/11/28(Thu) 17:41  

紀元前後の南海トラフを震源とする巨大地震によって、太平洋沿岸部分は津波によって崩壊した。その後作られた集落は高地性集落が始まる。倭国の乱に対するより、津波対策が主眼との記載がありましたが、四国北部、吉備地方瀬戸内海沿岸部でも高地性集落が出現しています。同時期に。この辺りは太平洋から来る津波影響が多きいとは思えないのですが?同じくくりなのでしょうか?


[9] Re:[8] 銅鐸の統合と消滅 弥生の廃仏毀釈? 投稿者:ヒロ 投稿日:2019/09/30(Mon) 14:31  

電人Qさん 投稿ありがとうございます。
「旧体制下の祭器の破壊が勧められた中、それを忍びないとする感情も大きかったでしょう。」と書かれていますが全く同感です。
明治期の廃仏毀釈に例えられたことは、分かり易いですね。
今、「大岩山の銅鐸・近江の銅鐸」のホームページを作成中ですが、銅鐸の廃棄に対する各地の対応の違いが見られます。
近江は、廃棄に逆らいながらも時の権力に従わざるを得なかったと考えています。
12月にはアップの予定なので是非ご覧ください。


[8] 銅鐸の統合と消滅 弥生の廃仏毀釈? 投稿者:電人Q 投稿日:2019/09/30(Mon) 12:09  

ヒストリア「銅鐸まぼろしの王国」で伊勢遺跡がとりあげられていました。
とても新鮮なエンコードでした。きっかけで、貴サイトを拝見しました。
生活痕がないことから神聖な祭祀の場であったのでしょう。
畿内式と三遠式のそれぞれの銅鐸の統合がうかがえることから、倭人伝の卑弥呼共立の舞台との見方があるようですが、
私は、銅鐸を破壊せずに埋めていることから、銅鐸の「魂鎮め」の儀式を催した場所ではないかと考えます。
「倭の言問う桃供えの姫の尊」が割拠状態から連邦国家への変革にあたり、旧体制下の祭器の破壊が勧められた中、
それを忍びないとする感情も大きかったでしょう。明治期の廃仏毀釈における、秘密裏の仏像保護が想起されます。
太陽霊を戴く美しい神籬三上山の麓は、その「鎮め」の儀式の場としてふさわしかったのかもしれません。


[7] Re:[6] 優れた視点に賛意 投稿者:ヒロ 投稿日:2019/08/16(Fri) 22:00  

シマちゃん さん
ご意見ありがとうございます。
赤塚次郎さんの気象変動と歴史の結びつけは、講演でお聞きしました。この根拠は植物細胞の元素同位体から過去の気象を推定する、新しい知見だったと思います。
2000年前に巨大地震があったことも科学的な裏付けによる、新しい知見です。当然、当時の社会に大きな影響を及ぼしたはずで、歴史の見方が大きく変わります。
シマちゃんが書かれたように、歴史的変遷には自然災害や気象変動が大きく関わっているはずで、このような視点から歴史を考えたいものです。


[6] 優れた視点に賛意 投稿者:シマちゃん 投稿日:2019/08/15(Thu) 14:11  

古代史愛好20年の老婆です。地学・気象学を歴史的変遷の原点に取り入れた人はあまりいなかった。今とても歴史学の進歩を感じています。嬉しいです。なお、赤川次郎さんがこれに近い説を、遺跡の土器などを使ってさかんにこうえんされています。

http://okekat.la.coocan.jp


[5] 原画展、有難うございました 投稿者:かずちゃん 投稿日:2016/02/14(Sun) 23:16  

多くの皆様にご来場いただきましてありがとうございました。
たまたま観光で守山に来ていた人にもお立ち寄りいただき、考古学の好きな遠方のお客様にも出会えました。たまには事務所を飛び出し、街中で陣を張るのもいいものだなぁと感じました。原画もやさしいタッチで癒される〜という若いお客様も多く、うれしい限りです。「原画の絵葉書はないのですか?」とお客様に聞かれた時、うれしかったです。絵葉書はありませんが、今後の課題として、検討してみたいと思いました。
JJさん、有難う!!



[4] 近江の弥生時代に思いを巡らす時 投稿者:JJ 投稿日:2015/12/26(Sat) 12:05  

このNPOに関わっている一人ですが、遺跡に思いを巡らす時、自分の心が近江の弥生時代の上空をかけ巡っています。
考古学者の方たち、発掘に携わった多くの方たちによって、想像は色濃くなっています。これが、より多くの人に伝わり、多くの人の心をが弥生のクニ々を旅して欲しいです。
それが未来の豊かさにつながることを信じています。



[3] Re:[2] 早速拝見しました 投稿者:ヒロ 投稿日:2015/11/01(Sun) 21:17  

michitanaさん

さっそく、当HPをご覧いただきありがとうございました。
これまで、国史跡に指定された下之郷遺跡、伊勢遺跡に目がいっていましたが、
それを育み、支える遺跡群が野洲川下流域にあったからこそ両遺跡があるのだと判りました。

トップの絵はNPOのメンバーである絵描きさんが描いてくださったものです。
野洲川下流域の主要な遺跡が鳥瞰図として描かれている優れモノです。


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